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山歩きと韓国


by futei8

管野須賀子・処刑から100年

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廿四日 晴れ

堺・増田の両氏と眞ア坊へ発信。

堺さんには在米の弟に記念品を送って貰う事を頼む。

紙数百四十六枚の判決書が来た。在米の同志に贈ろうと思う。

吉川さんが『酔古堂剣掃』を差入れて下すった。

針小棒大的な判決書を読んだので厭な気持ちになった。今日は筆を持つ気にならない。

吉川さんから葉書が来る。

 夜磯部・花井・今村・平出の四弁護士、吉川・南・加山・富山の数氏へ手紙や葉書をかく。

 管野須賀子処刑
1911年月25日午前8時27分

獄中手記
死刑の宣告を受けし今日より絞首台に上るまでの己れを飾らず

自ら欺かず極めて卒直に記し置かんとするものこれ                             

 明治四十四年一月十八日

                  須賀子

                   (於東京監獄女監)

明治四十四年一月十八日 曇

 死刑は元より覚悟の私、只廿五人の相被告中幾人を助け得られ様かと、夫のみ日夜案じ暮した体を、檻車に運ばれたのは正午前、…………

 時は来た。…………

 幾つとなく上る石段と息苦しさと、…………やや落着いて相被告はと見ると、何れも不安の念を眉字に見せて、相見て微笑するさえ憚かる如く、いと静粛に控えて居る。

…………

 読む程に聞く程に、無罪と信じて居た者まで、強いて73條に結びつけ様とする、無法極まる牽強付会(こじつけ)が益々甚だしく成って来るので、私の不安は海嘯の様に刻々に胸の内に広がって行くのであったが、夫れでも刑の適用に進むまでハ、若しやに惹かされて一人でも、成る可く軽く済みます様にと、夫ばかり祈って居たが、噫、終に…………万事休す牟。新田の11年、新村善兵衛の8年を除く他の廿四人は凡て悉く之れ死刑!

 実は斯殷うも有うかと最初から思わないでは無かったが、公判の調べ方が、思いの外行届いて居ったので…………今此の判決を聞くと同時に、余りの意外と憤懣の激情に、私の満身の血は一時に嚇と火の様に燃えた。弱い肉はブルブルと慄えた。

 噫、気の毒なる友よ。同志よ。彼等の大半は私共五、六人の為に、此不幸な巻添にせられたのである。私達と交際して居ったが為に、此驚く可き犠牲に供されたのである。無政府主義者であったが為に、圖らず死の淵に投込まれたのである。

 噫。気の毒なる友よ。同志よ。

 ………… 

 噫。神聖なる裁判よ。公平なる裁判よ。日本政府よ。東洋の文明国よ。

 行れ、縦ままの暴虐を。為せ、無法なる残虐を。

 殷鑑遠からず赤旗事件にあり。此暴横・無法なる裁判の結果    は果して如何?

 記憶せよ、我同志!、世界の同志!!

 …………「驚ろいた無法な裁判だ」と、独り繰返す外は無かった。

 …………さらば、廿五人の人々よ。さらば廿五人の犠牲者よ。さらば!。

「皆さん左様なら」

私は僅かこれ丈けを言い得た。

「左様なら…………」

「左様なら…………」

太い声は私の背に返された。私が法廷を[五、六歩出ると──抹消]出たあとで、

「万歳──」

と叫ぶ──抹消]叫ぶ声が聞えた。多分熱烈な主義者が、無政府党万歳を叫んで居るので有う。第一の石段を上る時、

「管野さん」

と声高に呼んだ者もあった。

…………

無法な裁判!

…………

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前列の仮監の小窓から、武田九平君が充血した顔を出して、

「左様なら」

と叫ぶ。私も「左様なら」と答える。又何処からか「左様なら」という声が聞える。此短かい言葉の中に千万無量の思いが籠って居るのである。

 檻車は夕日を斜めに受けて永久に踏む事の無い都の町を市ヶ谷へ走った。

…………

十九日 曇

 無法な裁判を憤りながらも数日来の気労れが出たのか、昨夜は宵からグッスリ寝込んだので、曇天にも拘らず今日は心地がすがすがしい。

…………

 夕方沼波教誨師が見える。…………絶対に権威を認めない無政府主義者が、死と当面したからと言って、遽かに弥陀という一の権威に縋って、被めて安心を得るというのは[真の無政府主義者として──抹消]些か滑稽に感じられる。

……………………

廿日 曇

 松の梢も檜葉の枯枝もたわわに雪が降り積って、夜の内に世は銀世界となって居る。…………

★塀を隔てた男監の相被告等は、今、何事を考えて居るで有う? この雪を冷たい三尺の鉄窓に眺めて、如何なる感想に耽って居るで有う? 

……………………

両三日前堺さんから来た葉書に

四日出の御手紙拝見、獄中日記ハ卒直の上にも卒直、大胆の上にも大胆に書き給えかし切に望む。

……………………

<英語の勉強の話>

……………………

 この日記は堺さんに言われるまでも無い。一切の虚偽と虚飾を斥けて赤裸々に管野須賀子を書くのである。

★廿一日 晴れ

応挙の筆になった様な松の雪に朝日が輝いて得も言われぬ趣きがある。

<幸徳の母の死に関する記述>

 風邪の気味で頭の心が痛いけど入浴する。入浴は獄生活中の楽しみの一つである。面会・来信・入浴──みよりの無い私の様な孤独の者ハ、面会も来信も、少ないので、五日目毎の入浴が何よりの楽しみである。

 蒼々と晴れた空から鉄窓を斜めに暖かそうな日光がさし込んで居る。湯上りののびのびとした心地で机の前に座った[心地・抹消]時は何とも言われない快感を覚えた。このまま体がとけて了って、永久の眠りに入る事が出来たらどんなに幸福で有うと考える。



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<吉川さんの手紙の件>

…政府の迫害を恐れて一身を安全の地位に置かん為め弊履の如く主義を擲った某某等! 噫、数奇なるは運命哉。弱きは人の心なる哉。去る者をして去らしめよ。逝く者をして逝かしめよ。大木一たび凋落して初めて新芽生ずるのである。思想界の春日──先覚者を以て自ら任ずる我々は、秋多の過去を顧みるの必要は少しも無い。前途、只前途に向って、希望の光明に向って突進すればよいのである。

 社会の同志に対する其筋の警戒は益々きびしい様子である。今回の驚くべき無法なる裁判の結果から考えても、政府は今回の事件を好機として、極端なる強圧手段を執らうとして居るに相違ない。迫害せよ。迫害せよ。圧力に反抗力の相伴うという原則を知らないか。迫害せよ。思い切って迫害せよ。

旧思想と新思想、帝国主義と無政府主義! 

まあ必死と蒲鉾板で隅田川の流れを止めて見るが好い。

<沼波教誨師の訪問>

 今回の事件は無政府主義者の陰謀というよりも、寧ろ検事の手によって作られた陰謀という方が適当である。公判廷にあらわれた七十三條の内容は、真相は驚くばかり馬鹿気たもので、其外観と実質の伴わない事、譬えば軽焼前餅か三問文士の小説見た様なものであった。検事の所謂幸徳直轄の下の陰謀予備、即ち幸徳・宮下・新村・古河・私、と此五人の陰謀の外は、総て煙の様な過去の座談を、強いて此事件に結びつけて了ったのである。

 此事件は無政府主義者の陰謀也、何某は無政府主義者也、若しくは何某は無政府主義者の友人也、故に何某は此陰謀に加担せりという、誤った、無法極まる三段論法から出発して検挙に着手し、功名・手柄を争って[苦心・惨憺の 抹消]、一人でも多くの被告を出そうと苦心・惨抹の結果は終に、詐欺・ペテン・脅迫、甚だしきに至っては昔の拷問にも比しいウッツ責同様の悪辣極まる手段をとって、無政府主義者ならぬ世間一般の人達でも、少しく新知識ある者が、政治に不満でもある場合には、平気で口にして居る様な只一場の座談を嗅ぎ出し[て 抹消]夫をさもさも深い意味でもあるかの如く総て此事件に結びつけて了ったのである。

 仮に百歩・千歩を譲って、夫等の[陰謀 抹消]座談を一つの陰謀と見做した所で、七十三條とは元より何等の交渉も無い。内乱罪に問わるべきものである。夫を検事や予審判事が強いて七十三條に結びつけんが為に、己れ先づ無政府主義者の位置に立ってさまざまの質問を被告に仕かけ、結局無政府主義者の理想──単に理想である──其理想は絶対の自由・平等にある事故、自然皇室をも認めないという結論に達するやも、否、達せしめるや、直ちに其法論を取って以て調書に記し、夫等の理論や理想と直接に何等の交渉もない今回の事件に結びつけて、強いて罪なき者を陥れて了ったのである。

 考えれば考える程、私は癪に障って仕方がない。法廷に夫等の事実が赤裸々に暴露されて居るにも拘らず、あの無法極まる判決を下した事を思うと、私は実に切歯せずには居られない。

 憐れむべき裁判官よ。汝等は己れの地位を保たんが為に、単に己れの地位を保たんが為に[不法と知りつつ、無法と知りつつ 抹消]己の地位を安全ならしめんが為に[心にも無い判決を、 抹消]不法と知りつつ無法と知りつつ、心にも無い判決を下すの止むを得なかったので有う。憐れむべき裁判官よ。政府の奴隷よ。私は汝等を憤るよりも、寧ろ汝等を憐んでやるのである。

 身は鉄窓に繋がれても、自由の思想界に翼を拡げて、何者の束縛をも干渉をも受けない我々の眼に映ずる汝等は、実に憐れむべき人間である。人と生れて人たる価値の無い憐れむべき[動物 末梢]人間である。自由なき百年の奴隷的生涯が果して幾何の価値があるか? 憐れむべき奴隷よ。憐れむべき裁判官よ。

 午後四時頃面会に連れて行かれる。堺さん、大杉夫婦、吉川さんの四人。

 面会の前に典獄から公判に就いての所感を語ってはいけないと注意された。此無法な裁判の真相が万一洩れて、同志の憤怒を買う様な事があってはという恐れの為に、特に政府からの注意があったので有う。

 赤旗事件の公判の時、控訴院の三号法廷に相並んだ以来の堺さんと大杉さん、四年以前も今日も見たところ少しも変りの無い元気な顔色は嬉しかった。彼れ一句、最初から涙の浮んで居た人人の眼を私は成るべく避ける様にして、つとめて笑いもし語りもしたが、終に最後の握手に至って、わけても保子さんとの握手に至って、私の堰き止めて居た涙の堤は、切れて了った。泣き伏した保子さんと私の手は暫く放れ得なかった。ああ懐かしい友よ。同志よ。

「意外な判決で……」というと、堺さんは沈痛な声で「[アナタや 末梢]幸徳やアナタには死んで貰おうと思っ[た 末梢]て居たのですが……」多くを語らない中に無量の感慨が溢れて居た。

 <寒村の件>

……然し世は塞翁の馬の何が幸いになる事やら、彼は私と別れて居たが為に、今日、無事に学びも遊びも出来るのである。万一私と縁を絶って居なかったら、恐らくは[今頃は 末梢]同じ絞首台に迎えられるの運命に陥って居た事で有う。

 私は衷心から前途多望な彼の為めに健康を祈り、且つ彼の自重自愛せん事を願う。

大杉夫婦に手紙、堺・吉川の両氏に葉書を書く。




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廿二日 晴れ

 昨夜は入監以来始めての厭な心地であった。最後の面会という一場の悲劇が、私の[鋭い 末梢]神経を非常に刺戟したからである。去年6月2日に始めて事件の暴露を知って以来、相当に[精神 末梢]修養をしたつもりで居るのに、仮令一晩でもあんな妙な名状しがたい感情に支配せられるとは、私も随分詰らない人間だ。我乍ら少々愛想がつきる。斯様な意気地のない事で何うなる。

…………

 然し今日は誠に心地がよい。昨夜の感情は夜と共に葬り去られて、何故あんな気持になったろうと不思議に思われる程である。

……

夕刻、平出弁護士と堺さんから来信。

…………

廿三日 晴れ

<妹の墓の件>

…これとても死者の骸が煙と成り、又それそれ分解してもとの原子に帰った後に、霊魂独り止まって香華や供物を喜ぼうなどとは、元より思っても居ないのだから、考えて見れば随分馬鹿馬鹿しい話であるが、そこが多年の習慣の惰性とでもいうのか、只自分の心遣りの為にして居たのであった。

………

墓などはどうでもよい、焼いて粉にして吹き飛ばすなり、品川沖へ投げ込むなり、どうされてもよいのであるが、然しまさかそんな訳にも行くまいから同じ[埋められるの 末梢]形を残すのなら懐かしい妹の隣へ葬られたいのは山々であるが……

<武富検事の件>

……………

 田中教務所長から相被告の死刑囚が半数以上助けられたという話を聞く。

<堺のまあさんからの便りの件>

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by futei8 | 2011-01-25 18:34